自由な学校
自由な学校とはなんだろうと時々考える。子どもたちが来て、楽しい時は笑って、しんどい時はしんどいとこぼせるそんなその子のリアルな今に寄り添うようにやってきた。この場所でこの子達は何かを学んでいるのだろうか。少なくとも『教える』ということをしてきた記憶がほぼない。
いや、もちろん全くないわけじゃないと思う。この写真のポテチは余っていたジャガイモでおやつを作った結果だから。全く何も『教える』ということをしていないわけではないと思う。それでもこの子達と関わり話していると思うのは、きっと今日を生きる中で感じることや体験していることが明日につながっているんだと思う。
そうやって毎日の出来事が自分の中に蓄積していくことで得られることがあるんだと思う。だからこれから他では体験できなかったようなことがこの子達の中に積み重ねられたらと思う。
でも、それは僕がそう思うのであって、この子達にとっての自由なんだろうか。それでも場を開くものとして何かを届けたいと思う。それが押し付けではなく、また、子どもたち自身の中からわきおこってくるものを止めることなく、お互いが自由にいられたらと思う。
そんな人間関係を学べる場所で、自由を学んで欲しい。
なんてことを少し思ったのでした笑。
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