顔のない人間
「ほほぅ。そこに刺すんや。」
徐に手を伸ばし、四角いシンプルなレゴを取り出したと思ったら次の瞬間に胴体の上に刺された。ちょっと意外な結末に戸惑う。
「これなぁ。あれやで。」
「何々?」
「顔のない人間。」
「そんなやつおらへんでぇ」と関西人らしいツッコミを入れつつ、内心思ったのはなんという哲学的な洞察に満ちた表現だろうということだった。もちろん、ご本人はそこまで意図しては話してないと思う。
例えば、僕らにとって記号としてその人を捉えていることがある。店員さん、先生、エレベーターで乗り合わせたマンションの人…。
その人が誰であるかではなく、その人が何であるかを認識している。マルティン・ブーバーの「我と汝」という関係性ではなく、「我とそれ」の関係性が僕らの日常を埋め尽くしている。
語り合うことのない個人と僕たちは日々連続的に出会う。
そうすることで僕らは顔を無くしていく。
そんな社会風刺としてのレゴ。
んなわけない。けど、独創性というものに驚かされる経験はとても楽しいものだ。
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