子どもが学校に行かないと行った時 - 後編 -

前回は息子が学校に行かなくなり、不登校になるまでについて書かせていただきました。今回はそうして不登校になってからのことについて書いてみたいと思います。

前回の記事はこちらから


お母さんと一緒にいたい

他のご家庭とのトラブルがあった次の日から息子は学校に行かず、私も一緒に仕事を休むことになりました。

年度末の忙しい時期だったので、仕事のことが気になりながら、電話で事情を説明し、職場の人の理解を得てお休みさせていただくことになりました。息子と二人で家にいて、家で本を読んだり、ビデオを見たり、遊んだり、勉強したりしましたが、病気でもなく、息子と二人で家で過ごすのは息子が生まれて産休で休んでいた時以来だったのかもしれません。

実は、息子が体調が悪いときも、仕事が忙しい時だと少しだけと言ってお留守番させて仕事に行ったりしたくらい、平日は仕事優先でした。たまに仕事を休むのは、学校の用事があるときか、子どもの誰かが具合が悪いときぐらいなので、家にいてもゆっくりするということはなかったので、私が仕事を休んで二人で家に居るということを息子もとても嬉しそうにしていました。

やっぱり一緒にいたいんだなと思う反面、今までほとんど一緒にいる時間がなくて寂しい思いをさせていたのかもしれないなと反省したのでした。



お母さんもどうしていいかわからない

そんな、学校に行けない日々が続きました。最初のうちは私も毎朝学校と職場に「休みます」という連絡を入れていたのですが、そのうち、職場の人からも「いつになったら仕事に来れる?」と聞かれるようになり、そう言われても返す言葉がなく、だんだんとそれがしんどくなってきました。そうして、学校にも職場にも連絡をしなくなってしまい、私までがひきこもりに気味になってしまいました。

まわりの目が気になり、日中外に出ることもできず、家でずっと引きこもっていると、気持ちもどんどん塞いできます。

先生のことも信頼できないので相談する人もいない状態で、どうして良いのかわからなくなっていました。息子にとって課題が解決したわけではなく、「学校に行ってみる?」と聞いても「行かない」の繰り返しです。

そんな途方に暮れていたときに、ウルトラマンから手紙が届くサービスを見つけました。息子が大好きなウルトラマンに手紙を書いてもらえば、もしかしたら学校に行けるようになるのではないかと思い、早速申し込みをしてみることにしました。

何の根拠もないのですが、少し希望を感じることができ、私も少し気持ちが楽になってきたのがとても不思議でした。そして、1週間ほどしてウルトラマンからの手紙が届き、それを読んだ息子はとても嬉しそうにしていました。

娘は「何で住所わかったんだろうね?」と言って不思議がっていましたが、これと、ことの発端の女の子が転校することになり、3学期も終わりクラス替えもあり、春休みにおじいちゃんの家に行って気持ちも切り替わり、私も仕事に行くことができ、元の生活に戻ることができました。


その後の私たち

その後、息子は学校に行けないということはなくなりました。何事もなかったように学校に通い、信じられないのですが、その時のことを息子は覚えていません。もしかしたら、あまり一緒にいることができなかった息子と一緒にいるための時間を与えられたのかもしれません。

その中にいるときは、どうして良いのかわからず、誰にも話せず、一人で悩んで、自分やまわりを責めていましたが、それで何かが解決するわけではないです。ほんの些細なことがきっかけで、学校に行けなくなったり、行けるようになったりということが起きるのだということ。

そして、人は内に籠もってしまうと、だんだん誰とも話したくなくなり、殻にこもってしまうということも私自身が体験しました。

そんな私が「自由な学校ころころ」の立ち上げに携わらせて頂けたことに、ご縁を感じています。

そして、お子さんの不登校に悩んでいらっしゃる保護者の方に、少しでも寄り添って私が聞いてほしかったようにお話を聞くことで、少しでも気持ちが楽になったらと思っています。

お子様の不登校などで悩んでいらっしゃる方のお力になれたら幸いです。

自由な学校 ころころ 豊中市のフリースクール

「自由な学校 ころころ」は豊中市(曽根、服部天神)にある、小学生~中学生までを対象としたフリースクールです。不登校や生きづらさを抱えた子どもたちが、その繊細な感受性を大切にしながら成長できる場所を目指しています。北摂、大阪市を中心に、お困りのご本人・親御様はまずはお気軽にご相談ください。不登校支援、引きこもり支援など支援機関の連携も歓迎しています。

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